我楽多写楽

写真道楽の我楽多が日常の徒然を書いてみます・・・

舞妓さんの挨拶回り・・・しょの1

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舞妓さん
写友に誘われて、京都へやってきました・・・
何でも1月7日は、舞妓さん達がお世話に成って居るお茶屋さんや料理屋さんに挨拶回りをするそうです・・・
そんな習慣など全く知らず、京都の地理にも疎い私は只ウロウロ、キョロキョロするばかりです・・・
第一、そんな挨拶回りが何処へ行けば見られるのかさえ判りませんし・・・
挨拶回りが何時頃行われるのかも知りませんし・・・
舞妓さんが挨拶回りをするのは何処へ行けば良いのか・・・
京都までやって来て始めての事に戸惑いっぱなしです・・・
京都はホテルの予約が取り難いので、朝早く出ての日帰りです・・・
車とかは写友が全て手配してくれました・・・
私は、旅行の代金の割り勘を払うだけでした・・・(笑
3人で1台の車に乗り、朝暗い内に出発して一路京都へ・・・
別段朝暗い内から出る必要は無かったそうですが、駐車場が少ないので早く行かないと駐車できなく成るんだそうです・・・
如何せん京都の地理には不案内なので、到着して写真を撮る所しか説明が出来ません・・・
何処で撮ったのかも判りませんので、地理的な説明は省略させていただきます・・・m(_ _)m

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家族旅行で愛媛へ・・・しょの15

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マチュピチュ
やっと東平へ到着しました・・・
って嘘嘘!!!
これは本物のマチュピチュの画像です・・・
しかし東洋のマチュピチュと言われる別子銅山東平(とうなる)地区の画像と比べていただく為に、ネットで探したフリー画像を貼って見ました・・・
こうして見ると遊子水荷浦の印象にも重なる所が有りますねぇ~・・・
マチュピチュは、世界遺産に成っていて入域する人数も制限されて居ますが、東平地区は未だ制限は有りませんが、中七番地区は登山が出来る人でないと入る事が出来ません・・・
また東平地区も結構歩きますから、歩きやすい履物でないと全部を見る事が出来ないでしょうねぇ~・・・
此処に居住していた人は、毎日登山家くらいは歩いていた様な感じさえします・・・
東平地区の彼方此方に点在する住宅跡や劇場跡、鉱山跡などを見ていると如何に険しい山道を歩いて仕事や生活をしていたのかが良く判ります・・・
それも平らな道路ではなく言わば完全な登山道なんですから・・・

家族旅行で愛媛へ・・・しょの14

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マイントピア別子
やって来ましたのはマイントピア別子と言う道の駅です・・・
ご存知の方はご存知ですし、ご存知無い方は全く知らない訳ですが、此処から東洋のマチュピチュへ行く事が出来ます・・・
午後1時の東平行きのマイクロバスに間に合うように来たんですが、既に午後1時のマイクロバスは3台が出て居ますが全て満席で、次に3時からの臨時バスが出ると言うので其れのチケットを買いました・・・
3時以降の運行は無いそうです・・・
実は私は何度か自家用車で来て居ますが、ガイドさんの説明を聞きたかったのと、恐らく東平の駐車場が満車に成って居るだろうとの予測からです・・・
勿論カミさんや息子は初めての東平です・・・
東平以外にも中七番にも銅山跡が有るんですが、此方は道が登山道並に狭いので徒歩専用に成ってしまいます・・・
しかし予想を裏切るほどの、物凄い混雑です・・・
まさか此処がそんなに人気だとは思っても見ませんでした・・・

家族旅行で愛媛へ・・・しょの13

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御金櫓
天主から東側に見えた御金櫓です・・・
此処は、入場は有料ですが、天主の入場券を見せると無料で入れます・・・
御金櫓自体は復元ですが、その内部は郷土出身作家による現代美術館に成っています・・・
今治場は、御金櫓、山里櫓、武具櫓と3つの櫓が復元されています・・・
その内、武具櫓は鉄御門(くろがねごもん)に連結されています・・・
3つの櫓は、入場料が必要ですが天主の入場券が有ればすべて入る事が出来ます・・・
なので天主の入場後でも入場券は捨ててはいけません・・・(笑

家族旅行で愛媛へ・・・しょの12

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天主台へ
それでは天主へ入って見ましょうか・・・
今治城の天主は、高虎公が津22万石へ加増転封となり、同時に天守を解体・・・
1610年、天下普請の丹波亀山城建築に当たり、解体された天守は丹波亀山へ移築されました・・・
今治城は、明治維新後に破却、内堀と一部の石垣のみが残る状態だったそうです・・・
今治城 現天守は、昭和55年に鉄筋コンクリートで再建された模擬天守です・・・
当時の高虎天守に関する詳細な史料が残っていないため、やむなく模擬天守となったとのことです・・・
移築されたという丹波亀山城の古写真では破風などが一切ないシンプルな層塔型天守でしたが、模擬天守には大きな千鳥破風がついています・・・